スピーカーキャビネットの組立てで、全自動組立てに挑戦した工場を何社か知っていますが、いずれもまもなく閉鎖となってしまいます。機械化した当初はそれなりにうまく働いているにも関わらずです。
スピーカーは原理こそあまり変わらないけど、トレンドを追う売れ筋のスピーカーは意外と構造も含めたデザインが変わるため、中途半端な全自動ではそれに対応しきれなくなってしまいます。 又、全自動組立てを維持するほど常に数量が多く安定しているわけでもなく、また、モデルが変わるたびに機械のセッティングも大変です。 そして、全自動と言っても機会を管理する人などを含めると、それほど人件費の削減効果は高くないことも多く、結局機械化より、より安い人件費の所で作った方が安くできてしまいます。 といってもスピーカーはそれなりにいろいろなマテリアルを使用するので、それらの部品がある程度現地で調達できないと材料費が安くならず、現地生産のメリットが薄くなるため、だいたい中進国が主になります。
こんなわけで、日本の人件費が安かった1971年初め位までは日本で作るのが圧倒的に安かったのですが、1971年8月の1ドル360円の固定レート終了後2年もたたずに一気に260円近くにまで上がり、1978年には200円を切るほどになりました。さらに日本人の給料もこの頃は毎年どんどん上がったので、これに対応する為に、スピーカーを海外で生産せざるをえなくなりました。 また為替のリスクを抑えるためにも消費地近くでの生産が求められました。
当時の会社の先輩方の苦労は大変だったと思います。
最初は欧米でも消費地に近く、比較的人件費の安い所が主で、AKAIでもヨーロッパ向けは主にスペイン、ハンガリー、北米はカナダなどの生産が主でした。しかし1980年代後半からはスピーカーも小さくなり、韓国や台湾で作って全世界に輸出する方が、消費地に近い各国で作るより安くなりました。 そして1990年台後半からは中国で作るのがどこよりも安くなったのです。
AKAIが中国でスピーカーを作るようになったのは1996年頃からで、私も1995年から下準備も含めて中国に行くようになりました。その頃はまだ人民服の人も多く、道はほとんど舗装されていない状況でした。 作業員は皆地方出身者で、会社の敷地内にある社員寮で生活し、食事も3食とも社員食堂で食べるので、生活のほとんどは寮と仕事場との往復のみです。それでも皆まじめで、仕事の飲み込みも早く、しかもスタッフでも給料は私の僅か1/40でした。 私もサラリーマンですし、その頃は赤井も苦しく、せいぜい日本の電機業界の平均給与くらいしかもらっていませんでした。そのさらに1/40です。 しかし、彼らを見ていると本当に私は彼らの40倍もの給料をもらうだけの利益を生む仕事をしているのか? これから何年かして彼らの実力が上がった時も、彼らが私の給料の額を納得させられるだけの違いを持つ人でいられるのかと思わず自問してしまいました。この実力差が無かったらいずれ中国との給料の差が無くなってしまいます(すでに日本人の平均年収は韓国や台湾に抜かれてしまいましたが…)。 これは私だけでなく、国により外資から守られている業界も含め、すべての職業の日本人が考えなくてはならない事だと思います。