私の会社独立は1時間でほとんど決まりました

水とパンチングメタル

赤井電機の仕事は楽しく、その日もスピーカーの打ち合わせの為めに、台湾のスピーカーメーカー(Sun Technique 社)の中国工場を訪問していました。
朝からの打ち合わせがひと段落したので、日本のアシスタントに何となく電話した所、”相澤さん、今日会社で重大発表があったんです。本社が新横浜に移っちゃうんです。”との事。 これは全く考えていませんでした。
赤井電機の本社は羽田に近い大田区の東糀谷にあり、会社に通っている人の多くは横浜方面からなので、むしろ大多数の人が歓迎したのかもしれませんが、私は家族で千葉の実家に住んでいて、そこから片道1時間半以上かけて会社まで通っていました。 会社はフレックスだったのでなんとかなったのですが、さすがに新横浜までは通えません。 妻も家の近くに勤めていたので家族ごと引っ越すわけにはいかず、単身赴任はいやでした。 これは会社を辞めるしかないが、43才では再就職も難しそうです。
そこで打ち合わせをしていたスピーカー会社の社長に事情を説明し、その会社の日本販売代理店を私にさせてくれないか、と相談した所、”いいよ”という返事。
とりあえず現地での仕事を終わらせて帰国後、会社に週1日程度会社に顔を出すくらいの在宅勤務にできないか相談しました。 今の仕事のほとんどは海外の工場とのやり取りや、視聴室で試作品の音を聞いたり実験したりと、測定器などの設備さえあれば家でも出来ます。 しかし、これは前例も無く、認められませんでした。
そこで会社を辞めざるを得ないが、今の仕事を外注として引き続き受けられないか?また、その為には測定器や試験機なども必要だが、使用している機材を安く売ってもらえないか持ちかけたところ、これには協力してくれ、機材はほとんどを簿価で販売してもらい、高額のリース機材はリース会社から買い取りできました。実際、測定器のほとんどはGP-IBというバスで繋がり、それらをパソコンでコントロールしていましたが、そのソフトは私が作っていたので、私がいなくなるとメンテナンスも難しくなってしまいます。そういうわけで今の年収程度で外注として引き続き同じ仕事を出して貰う事が出来、一人会社で、事務所は自宅ではあるけど、独立する事となりました。 ただ、将来は保証されていないので、私も他から仕事を取れるようにならなくてはなりません。
そこで、会社設立にあたり、Sun Technique社との関係を強固にするため、サンテック社及びサンテック社の社長個人から少し出資してもらい、サンテックジャパン有限会社が出来ました。出資額は大した金額ではないけど、資本関係のある事が大事で、サンテックの社員が私を単なる代理店の人でなくグループ会社の人という身内意識で見てもらえるからです。
独立の話を妻に話した時は、何も言わずOKしてくれました。 こんなわけで、それまで全く独立など考えていなかった私が、独立して会社をスタートする事となりました。
余談ですが、私はお金があればほとんど趣味に使ってしまう人なので、会社の定款にはオーディオ以外にもカメラや車、絵や旅行、アウトドアやスキーなど私がお金を使いそうな分野はすべて仕事?として活動できるようにしました。

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